いまだ完結せず。

そもそも地球上の生物は全て完結していない。

環境が変わればそれに順応していかなければいけないしまだまだフレキシブルに進化を進められるポテンシャルを持っている。持っていない動物はすぐに絶滅してしまうだろう。

人間も進化のポテンシャルを無駄に持ったままだ。

生物としての人間そのものが進化するのではなく、文明を築くことによって「人間」というコミュニティーを進化させてきた我々人間。

文明というコミュニティーの進化は生物としての進化よりも格段に速いスピードで確実に人間の住みやすい(と人間が勝手に思っている)世の中を作り上げていった。

いまだ文明の進化は止まってはいないが、ここで問題となるのは生物としての進化のポテンシャルだ。

進化とはそもそも模索、ゆらぎの中から生まれる。と僕は思っている。

能力の高い生物がたまたま生まれ、そいつが生き残り、能力の低い生物がたまたま生まれ、そいつが自然淘汰される。

これが繰り返されて確実にその環境にあった能力を持った生物へと近づいていく。

かたや今の人間はどうだろうか。

ゆらぎで能力の高い人間が生まれようが能力の低い人間が生まれようがどちらも同じようにして生き残り、同じように子孫を残す。

ただでさえ遅いスピードで行われている生物的な進化がこれ以上人間に起こるとは考えにくい状況だ。

人間にはこれ以上の進化の必要も可能性も希薄なのだ。

しかし進化のためのゆらぎは残ったままである。

同コミュニティー間の個体間の能力、性格の差は差別や上下関係を生んでおり、生まれたときから平等ではない世の中となっている。

また、DNAの不安定さから生まれつきのDNA欠損の病気やガンなどの後天性の致命的な病気までも発生してしまう。

また、精神のゆらぎも無駄に大きい。

本来安定、安全が生物の最も目指すところであるのに対し、人間(特に日本人とか)にはそれが生まれたときから保障されている。

そのためか刺激を求め、安定には退屈と言う名を付け嫌う傾向にある。

安定安全を愛する安定した精神であるならば、みんな生まれたときから幸せになれることが確定しているのだ。

しかしゆらぎに満ちた精神は好奇心に突き動かされ現状に満足しない。好奇心こそが文明を進化させてきているのだが。

人間はすでに不安定な精神をかかえて生きていくには辛い世の中を作り上げてしまっている。

人間関係やお金に一喜一憂し、安定安全を謳歌しようとする概念もない。

人間は進化のポテンシャルと言う枷を背負って生きている。

もう腸と同じようにいらなくなった器官であり、現代の人間社会においては役立たずどころか足枷となっているのである。

以下略。

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